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Allgood Story 鈴木茂義

Allbirdsではアンバサダー(Allgood Collective) やローカルリーダーとお招きし、
「環境責任、クリエイティブ表現、個人の健康とウェルネス」を応援する
トークイベント Allgood Storyを開いています。

6月はプライド月間(Pride Month)。世界中でLGBTQ+の権利について啓発を促し、彼らのコミュニティーへの支持を示す月。

そこで今月のゲストには、プライドハウス東京の理事・LGBTQ+と教育について考える虫めがねの会の代表の鈴木茂義さんをお招きしました。

LGBTQ+当時者の鈴木さんから、性の多様性を伝えた先にある、より良い「生き方」「在り方」まで教えて頂きました。シゲ先生のAllgood Storyを覗いてみましょう。

初めに

小学校では鈴木先生と呼ばれると複数の先生が振り返るので、私は下の名前で「シゲ先生」と呼んでもらっています。

今日の話の前提として、性の多様性以外にも、私の中の多様性。
言わば、多層性があることをお伝えしたいと思います。

私はゲイの当事者ですが、一つの事柄だけで成り立っているのではなく、折り重なって成り立っているのでは無いでしょうか? そんな自分自身の多層性についても、考えていただけたら嬉しいです。

小学生ながら気づいていた

よく「シゲ先生っていつからゲイってことに気づいたの?」って聞かれるんですが、実は小学校1年生の時から『もしかしたら自分は同性に魅かれるのかもしれない』と感じていました。

近所のお兄ちゃんたちと遊ぶのが好きで、憧れに似たような感情だったのかなと思います。

ただし、他の男の子たちは好きな女の子の話で盛り上がっているので、「なんで自分だけ違うんだろう?」と思っていました。

ですが自分が男の子のことが好きって話したら、『絶対いじわるされちゃうな。これは絶対誰にも言ってはいけないこと。 』と小学生ながら気づいていました。

中学生になり、自分には好きな男の子・女の子・男の先生・女の先生がいて、自分は誰が好きなのか、かなり揺らぎがあったかなと思います。

当然自分自身を表すゲイという言葉も知らなかったので、なんだかモヤモヤしていました。

小さな嘘、ごまかしの日々

中学生くらいになって、なんとなく物腰が柔らかい私は「茂って女っぽい、ナヨナヨしている」と言われることがよくありました。ですが、重大ないじめにつながることはありませんでした。

高校生になって好きな男の子、女の子もいて、好きな女の子にはラブレターを書いたりしていましたが、性的欲求はどんどん男性に向いているように感じました。

この頃から突如友達との会話に困ることが増えました。

「シゲちゃんってアイドルなら誰が好きなの?」と言った質問に答えられなかったんです。
自分の中で想定問答集を用意して、広末涼子さんと答えていました。

コミュニケーションで自分のことを正直に語ることが難しい時期を過ごしていました。

初めての彼女、初めてのカミングアウト

大学2年生の時に、彼女ができました。
「もしかしたら、女の子とお付き合いしたら異性を好きになれるかもしれない」と自分を"治療"しようとしたんです。

本当に当時の女の子には申し訳ないことをしてしまったと思っています。
もちろん長続きすることはなく、1ヶ月ほどでその彼女とお別れしました。

いよいよゲイであることを受け止めないといけないなと思いました。とにかくこの気持ちを誰かに聞いてほしいと思って、同級生の女の子をカフェに誘い、生まれて初めて自分がゲイであることをカミングアウトしました。

カミングアウトは、Coming out of closet. 押し入れから出てくるという意味です。
何か自分の大事な秘密を人に教えるのがカミングアウトです。

口から心臓が飛び出そうなこと緊張して、その友達に伝えたら、その子は一瞬驚いたものの、こう言ってくれました。
「びっくりはしたけども、シゲが変わるわけではないし、これまでの友達関係に何も影響はないから大丈夫だよ」と。

人生初のカミングアウトが、こんなにも受け止めてもらえて、非常に大きな自信と安心につながったことを覚えています。

職場で悩みだらけの日々

大学を卒業して、小学校の先生として教員を始めて、もう悩むことはない!と思ったのですが、実は悩みだらけの毎日でした。

学校で生活していると、ありとあらゆる人に
「シゲ先生彼女は?」
「シゲ先生結婚は?」
と聞かれていました。

小学生の女の子に「シゲ先生彼女は?」と聞かれると、「いないよ」と答えたり当時付き合っていた同性のパートナーを女性に置き換えて話したりしていました。

全て悪意がない質問だからこそ、どう対応していいかわからず過ごしていました。社会人になっても、常に小さな嘘とごまかしが存在していました。

『ゲイの先生はダメなんだ。』と当時は自分自分に差別をしていました。
自分に正直に生きるのは苦しくなっていたので、自分を押し殺して生きていた時代でした。

カミングアウト強化月間

当時担当していたクラスが荒れだし、仕事が上手くいかなくなりました。
カウンセリングを勉強していた私は、自分の中の隠し事をできるだけ無くしたいと思い、あるキャンペーンをすることにしました。

カミングアウト強化月間です。

職場の仲間や友人で『この人なら自分を傷つけないな』と思った方に、タイミングを見定めて「実は自分はゲイなんです」とカミングアウトしていきました。

みんな一瞬驚いていたけれども、今まで積み重ねた関係があったので非常にポジティブに受け止めてくれました。

そして、当時教員13年目で、子ども立ちに投げかけていた言葉がブーメランのように自分に帰ってきていたんですね。

その言葉は、「素直であれ」「誠実であれ」。
しかし、自分自身はゲイであることをひたすらに隠している。

子どもに言っていることと、自分自身の在り方が一致していないなと悩むようになりました。

『この子たちが卒業するときに自分もカミングアウトしたい。しかし、その後学校に残ることができるのか。』

子どもや保護者に心無い言葉をかけられるのでは、教育委員会に苦情の電話がいくのではないか、非常に揺れていた時期です。

「シゲ先生、学校が大変なことになっています!!」

OUT IN JAPANという、LGBTQ当事者を写真で応援する為の、彼らの写真・職業・メッセージをインターネット上で公開するというプロジェクトに出会いました。

写真家のリスリーに自分の職業を伝えると、「素晴らしい。学校の先生がカミングアウトすることで、勇気がいるけれどすごく大事なことだね」と励ましてもらいました。

その撮影を通して、卒業をする生徒に花向けができたらと思いました。
3月25日に卒業し、自分を安心安全な場所に身を置きたいと思い、教員を退職しました。

この写真は6月に公開されたんですが、クラスの子がすぐ私のことを見つけたんですね。一斉に知れ渡って、保護者にも知れ渡って大騒ぎになったという。

保護者に「しげ先生、学校が大変なことになっています」と連絡を受け、卒業後に保護者と生徒と再会しましたが、自分自身への差別に気付きました。

ゲイの先生は認めてもらえないんだと自分自身への差別です。

「学校の先生としてきちんとやってきたから、ゲイであろうとなかろうと関係ない。」と言ってくれた保護者の方々に大変救われました。

教師を退職した後の活動

ゴールデンウイークにレインボーパレードに参加したり、この時期も怖さと隣り合わせで活動していました。

しかし、今のところカミングアウトしてよかったです。
カミングアウトするかどうかの議論もありますが、するしないに関わらず、決断と行動が尊重されることが大事かなと思っています。

当日は渋谷区に住んでいたので、区民活動としてみんなでLGBTQについて考えるむしめがねの会を作り、多くの人と楽しみながら活動していました。

自分が一歩踏み出したことで、色んな方と出会えることができたのかなと思います。

現在は新宿御苑前にあるプライドハウス東京レガシーにて、活動をしています。
どなたでも無料でご利用いただけるのでぜひいらしてください。

カミングアウトをして、薔薇色の人生だったのか?

そうでもありませんでした。個人の努力では限界がありますね。

だから、法律とか制度の枠組みを変えていく必要があるのかなと考えています。なのでイベントに足を運んでくださる皆さんのような存在が非常に心強いです。

最後に、この言葉を贈りたいと思います。

『真の自立とは、依存先を増やすこと』

変化が激しい現代には、自分の力で頑張ることも大事ですが、自分にとって安心安全な場所や人を頼りながら、頼られながら生きていくのが大事。

「より良いものを、より良い方法で」 このフレーズは人生と一緒なのかも。
人生についても「より良いものを、より良い方法で」 実現できたらいいなと思っています。